日々の日記と徒然語りと更新履歴
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以前からよく友達と「年賀状と言うのは毎年義務感でやっつけ仕事みたいにして出していて心がないからやめてしまいたいけど、年賀状のやりとりだけでも縁を繋いでおきたい人もいるからやめられないよね」と話していました。
昨日、そんな、もう年賀状だけでしか繋がっていなかった人の訃報が届きました。
私が就職した当時の知人で、もう十年以上会っていません。
その方は私よりも十以上年上の未婚の方だったので、女性同士、なんとなく年齢を聞かずにきたので正確なお年は今でも知りませんが、当時、一緒に旅行に行ったりコンサートに誘って頂いたりしていたので、親しかった方だと思います。
ただ、親しいとは言っても、実はまあ、本音を言えば微妙な関係だったりしたのですよ。
普通の友人とは少し違った位置にいたと思っています。
間に1本線を引いて、少し離れた距離からお互いの腹を探り合っていた部分もあったと思うのです。
私の方が先に会社を辞めたのですが、当時はまだ携帯電話とかパソコンが今ほど普及していなかったので、何となく連絡手段がないまま、年賀状のやりとりが始まったのです。
その後、お互いにパソコンを持つようになってアドレスを交換したのですが、年賀状だけのお付き合いになってからすでに数年が経過していまして、なんとなーく、メールのやりとりもほんの1、2回程度で消えてしまいました。
そして、私は数年前に結婚して市外に引っ越してしまい、新しい生活になって、年賀状の時期になってふと思い出すくらいになっていました。
だから、今年、その方からの年賀状がなかったことも、薄情なようですが、そんなに気にはならなかったのです。
もう、会わなくなって「お久しぶりです」と書くのも白々しいくらい年月が流れていたし、今年の正月は24日の日記にも書いたとおり、年明けから乳ガン疑惑で自分がいっぱいいっぱいで、誰から年賀状が来て誰から来なかったかすら把握しきっていなかったのです。
だから、昨日突然、その方の妹さんからハガキが届いた時には驚きました。
知人は、昨年の夏の終わりに病で亡くなられたそうです。
奇しくも、私の祖母が亡くなったのとそんなに時期が離れていません。
先にも書いたとおり、知人とは年賀状だけのお付き合いになっていましたし、当時も一緒に出かけたりはしていたものの、会社で時間や予定を決めて、外で待ち合わせていたので住所は知っていても自宅の場所も知らないし、お互いの電話番号も知らないので、何も知らずに私が出した年賀状を見てハガキを下さったようです。
とても酷い人間だと言われても仕方がないと思いますが、離れている時間が長かったので、訃報を聞いても悲しいとは思いませんでした。
ただ、ショックを受けたのは事実で、現実がとても重く心にのしかかってきたような気がしました。
だって知人はまだ亡くなるには若すぎる年齢なのです。
・・・昨日は、普段通りの生活をして、普段通り笑ったりしていましたが、精神的には落ちているようで、一人になったりするとふと、いろいろなことを思い出していました。
旅行やコンサートに行ったことや、会社で顔を合わせていた当時のこと、後、腹立たしいと思ったことや、知人が病死した友人の話をしてくれた時のこともふと思い出しました。
「棺の中で眠っているみたいで、こんなに若いのに亡くなってしまうんだ、人生ってわからないなって不思議な気持ちだった」と、言うような内容のことを言っていました。
その数年後、私も友人を病で亡くして棺を見たとき同じようなことを思って悲しくて泣きました。
そしてその知人まで同じように若くして病で亡くなってしまうなんて、なんだかすごくやりきれなくてショックでした。
本来なら知人のご仏前にお線香をあげにいくべきだと思うのですが、向こうのご都合もあるだろうし、何より、今さら訪ねていけるような状況でもないのでせめて、ハガキを下さった妹さんにお礼とお悔やみの手紙を書かせて頂こうと思っています。
生前、まだ親しくしていた頃の知人は妹さんのお子さんをとても可愛がっていて、いつも「甥っ子が」「姪っ子が」と嬉しそうに話していたのを思い出したので、それも書かせて貰ってもいいのかな・・・?
遅くなりましたが知人の冥福をお祈りいたします。
昨日、そんな、もう年賀状だけでしか繋がっていなかった人の訃報が届きました。
私が就職した当時の知人で、もう十年以上会っていません。
その方は私よりも十以上年上の未婚の方だったので、女性同士、なんとなく年齢を聞かずにきたので正確なお年は今でも知りませんが、当時、一緒に旅行に行ったりコンサートに誘って頂いたりしていたので、親しかった方だと思います。
ただ、親しいとは言っても、実はまあ、本音を言えば微妙な関係だったりしたのですよ。
普通の友人とは少し違った位置にいたと思っています。
間に1本線を引いて、少し離れた距離からお互いの腹を探り合っていた部分もあったと思うのです。
私の方が先に会社を辞めたのですが、当時はまだ携帯電話とかパソコンが今ほど普及していなかったので、何となく連絡手段がないまま、年賀状のやりとりが始まったのです。
その後、お互いにパソコンを持つようになってアドレスを交換したのですが、年賀状だけのお付き合いになってからすでに数年が経過していまして、なんとなーく、メールのやりとりもほんの1、2回程度で消えてしまいました。
そして、私は数年前に結婚して市外に引っ越してしまい、新しい生活になって、年賀状の時期になってふと思い出すくらいになっていました。
だから、今年、その方からの年賀状がなかったことも、薄情なようですが、そんなに気にはならなかったのです。
もう、会わなくなって「お久しぶりです」と書くのも白々しいくらい年月が流れていたし、今年の正月は24日の日記にも書いたとおり、年明けから乳ガン疑惑で自分がいっぱいいっぱいで、誰から年賀状が来て誰から来なかったかすら把握しきっていなかったのです。
だから、昨日突然、その方の妹さんからハガキが届いた時には驚きました。
知人は、昨年の夏の終わりに病で亡くなられたそうです。
奇しくも、私の祖母が亡くなったのとそんなに時期が離れていません。
先にも書いたとおり、知人とは年賀状だけのお付き合いになっていましたし、当時も一緒に出かけたりはしていたものの、会社で時間や予定を決めて、外で待ち合わせていたので住所は知っていても自宅の場所も知らないし、お互いの電話番号も知らないので、何も知らずに私が出した年賀状を見てハガキを下さったようです。
とても酷い人間だと言われても仕方がないと思いますが、離れている時間が長かったので、訃報を聞いても悲しいとは思いませんでした。
ただ、ショックを受けたのは事実で、現実がとても重く心にのしかかってきたような気がしました。
だって知人はまだ亡くなるには若すぎる年齢なのです。
・・・昨日は、普段通りの生活をして、普段通り笑ったりしていましたが、精神的には落ちているようで、一人になったりするとふと、いろいろなことを思い出していました。
旅行やコンサートに行ったことや、会社で顔を合わせていた当時のこと、後、腹立たしいと思ったことや、知人が病死した友人の話をしてくれた時のこともふと思い出しました。
「棺の中で眠っているみたいで、こんなに若いのに亡くなってしまうんだ、人生ってわからないなって不思議な気持ちだった」と、言うような内容のことを言っていました。
その数年後、私も友人を病で亡くして棺を見たとき同じようなことを思って悲しくて泣きました。
そしてその知人まで同じように若くして病で亡くなってしまうなんて、なんだかすごくやりきれなくてショックでした。
本来なら知人のご仏前にお線香をあげにいくべきだと思うのですが、向こうのご都合もあるだろうし、何より、今さら訪ねていけるような状況でもないのでせめて、ハガキを下さった妹さんにお礼とお悔やみの手紙を書かせて頂こうと思っています。
生前、まだ親しくしていた頃の知人は妹さんのお子さんをとても可愛がっていて、いつも「甥っ子が」「姪っ子が」と嬉しそうに話していたのを思い出したので、それも書かせて貰ってもいいのかな・・・?
遅くなりましたが知人の冥福をお祈りいたします。
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